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福岡地方裁判所小倉支部 昭和62年(ワ)175号 判決

主文

一  被告は、原告上野和子に対し金一八〇万円、同上野奈初美及び同上野優子に対し各金九〇万円及びこれらに対する昭和六一年七月二七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、それぞれを各自の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は、原告上野和子に対し金四〇〇〇万円、同上野奈初美及び同上野優子に対し各金一五〇〇万円及びこれらに対する昭和六一年七月二七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  事案の要旨

本件は、被告が経営する牧坂内科消化器科医院(以下「被告医院」という。)に昭和五八年一一月四日から通院して、被告から肝硬変症等の診療及び治療を受けていた上野進(昭和五年九月一四日生れ。以下「進」という。)が、昭和六一年七月一九日、財団法人健和会大手町病院(以下「大手町病院」という。)に緊急入院し、腹部CT(コンピューター断層撮影)検査、腹部エコー(超音波)検査等を受けたところ、進には肝臓癌が発症し、それが破裂して腹腔内出血を起こしていることがわかったが、既に手の施しようのない状態にあり、同月二七日、進は肝癌により死亡したことから、進の遺族(相続人)である原告らが、被告に対し、進の死亡は被告が進の肝癌の発症の発見を怠ったため、進が肝癌に対する適切な治療を受け得なかったことによるものであるとして、主位的に不法行為、予備的に診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償を求めている事案である。

二  争いのない事実

1  原告上野和子(以下「原告和子」という。)は進の妻であり、同上野奈初美(以下「原告奈初美」という。)及び同上野優子(以下「原告優子」という。)は進の子である。被告は被告医院を経営する医師である。

2  進は、昭和五八年一〇月ころ、社会保険小倉記念病院(以下「小倉記念病院」という。)において、人間ドック検診を受けたところ、アルコール性肝硬変の診断であったが、担当医師木下善二から、「慢性肝炎のため、治療を要する」として、肝臓病の専門医である被告を紹介された。進は、同年一一月四日、右紹介状を持って、被告医院を訪ね、同日、進と被告は、進の肝疾患の診療契約を結んだ。

3  被告は、診療を始めるにあたって、進に対し、禁酒等の節制及び安静にしておくよう指示した。以後、進は、昭和六一年七月一九日まで約二年八か月間、休日等を除きほとんど毎日被告医院に通院し、被告の診療を受けた。

4  昭和六一年一月一七日夜、進は、突然鼻血を出し、北九州市立夜間・休日急患センターで応急処置を受けた。

5  昭和六一年七月五日、被告は、進に対し、AFP(α・フェト・プロテイン)検査を実施した。

6  昭和六一年七月一八日朝、被告は進を診察し、翌一九日、被告は、進に対し、小倉記念病院への紹介状を交付した。

進は、容態が悪化したため、同月一九日、大手町病院に緊急入院し、直ちに腹部CT,腹部エコー等の検査を受けた。

右検査によると、進の肝硬変はかなり進行しており、また、肝癌が発症し、これが肝臓内に多数転移し、これが破れて腹腔内に出血を起こし、既に治療できない状態にあった。

進は、その後も容態が悪化し続け、同月二七日、大手町病院で死亡した。死因が肝癌であった。

三  争点

1  過失ないし診療契約の債務不履行

(一) 原告の主張

進は、被告の診療を受けた昭和五八年一一月四日当時、五三歳の男性で、アルコール飲酒歴があり、肝硬変の患者であったから肝癌に罹患しやすい、いわゆる肝癌発症に関する高危険群患者に属したから、被告は、肝硬変の治療のほかに、肝癌の早期発見のため、エコー検査、CT検査、肝シンチグラム、腹腔鏡検査、血管造影等各検査による画像診断及びいわゆる肝癌の腫瘍マーカーであるAFPの定期的かつ継続的検査を各実施し、これらを組み合わせた定期的スクリーニング検査を実施し、早期に肝癌の発症を発見し、これに対する適切な治療をすべきであったにもかかわらず、被告は、進の肝癌発症を全く考えず、進が被告の治療を受けた昭和五八年一一月四日の初診時からAFP検査を実施した昭和六一年七月五日までの約二年八か月間の計七七一回に及ぶ診療において、AFPの定期的かつ継続的検査を実施せず、また、エコー検査等の画像診断及びこれらを組み合わせた定期的スクリーニングも一度も実施せず、その間、被告の進に対する診療は、視診、触診、打診及び肝機能検査、凝固系検査としてヘパプラスチンテストの実施であり、昭和六一年七月五日になって、AFP検査を一度実施したが、肝癌を発見のための前記各検査はいずれも実施していない。また、被告は、右AFP検査の結果、癌を疑うべき数値が検出されたのに、癌の発症等がないものと軽信し、その対応処置をとらなかった。

(二) 被告の主張

昭和五八年から昭和六一年当時、エコー検査等の画像診断やAFP検査が、肝癌を早期に発見するために有用なものであることが臨床の現場で理解されつつあったが、血液生化学検査(肝機能検査、凝固系検査等)を含む臨床所見において肝癌の発症を疑わせる異常がないのに、それらを定期的スクリーニングとして実践することは、一部の先端的研究者が提唱していただけで、いまだ医療臨床の現場では実践されていなかった。また、進の肝硬変症は非A、非B型のアルコール性肝硬変症であるが、これの肝癌発生の危険はB型肝炎ウィルス罹患者の肝癌発症率が高い(当時C型肝炎ウィルスは発見されていなかった)のに比べて格段に低く、肝癌発症に関する高危険群とされていなかったから、医療現場では、肝機能を診るための血液生化学検査や肝腫の状況を診る理学的所見その他臨床所見で肝癌の発生が疑われる場合に、AFP検査を実施し、右AFP値の推移が肝癌を疑わせる場合にエコー検査、CT検査等の画像診断をするというのが一般であった。

被告は、進の肝癌合併の危険に対して特段の注意を払い、定期的にGOT、トータルビリルビン、LDH、A1‐p、γGTP、αグロブリン等の肝機能検査(血液生化学検査)を実施するとともに、日頃から、患者の自覚症状及び触診等による肝腫の増大、圧痛の有無等を確認していたが、初診時以降昭和六一年六月末ころまで、肝硬変症及びアルコール摂取に起因すると思われる肝機能障害が認められたことはあっても、肝硬変症は比較的安定した状態で推移し、急性腹症を発症した同年七月一八日以前は肝癌の発生を疑わせるような所見は何一つ認められなかった。同年七月五日ころ、肝癌の発生を疑わせるような肝機能の僅かの異常と体重減少がみられたが、その際には、AFP検査を実施したが、その数値は肝硬変症によるものとみられ、肝癌の発症を疑わせる数値でなかった。

2  本件診療における被告の過失ないし診療契約の債務不履行と進の死亡との因果関係

(一) 進の肝癌の早期発見の可能性

(1) 原告の主張

被告において、肝癌の早期発見のためにエコー検査等の画像診断とAFP検査を組み合わせた定期的スクリーニング検査を実施していれば、当時のエコー検査機器の性能からすると、二センチメートル未満の細小肝癌(日本肝癌研究会の原発性肝癌取扱い規約〔昭和五八年〕による定義、乙32・一四三頁参照)の段階で発見が可能であった。被告は、S4(肝左葉内側区域)に生じた腫瘍の特殊性を主張するが、進にはS4に生じた腫瘍より直径が大きな腫瘍が、S6(肝右葉後下亜区域)とS7(肝右葉後上亜区域)に存在し、これらは結節型腫瘍であるから、エコー検査でそのいずれかが二センチメートル未満で発見されれば、その時点で脈管浸潤の有無その他の形態を確認するために血管造影検査を加えて実施できるから、S4の腫瘍も容易に読影できる。

(2) 被告の主張

近年におけるCT検査、超音波断層検査等の画像診断の目覚ましい発達にもかかわらず、肝癌は、胃癌、大腸癌、子宮癌、乳癌等他の臓器の癌に比べて、一般的に細小癌の段階で発見することが困難であって、肝癌の存在部位、病態によっては不可能な場合がある。昭和五五年から昭和五八年までの四年間における全国の大学附属病院、国公立病院等の検査設備が完備された基幹病院において取り扱った肝癌症例三二七六例のうち、直径二・三センチメートル以下の細小肝癌が臨床診断で発見されたのは、僅か一七六症例(五・三パーセント)にすぎず、残る約九五パーセントの肝癌は、いわゆる進行癌の段階で発見されている(第六回全国原発性肝細胞癌追跡調査報告)。

進に肝癌が発生していないことが確実な昭和五八年一〇月のAFP値は二〇〇ng/ml前後、肝癌の存在が確実な昭和六一年七月五日のそれは一一〇ng/ml、急性腹症を発症後の同月二五日のそれは一八ng/mlというAFP値(正常値は二〇ng/ml以下)の推移は、肝硬変症に起因するもので、進の肝癌はAFP非産生型であるから、仮に進に対しAFP検査を複数回実施しても、肝癌を疑診することはできなかった。

また、進には、S4という部位に浸潤型肝癌が発生していた。S4の癌は、癌部と非癌部の境界が不明瞭な浸潤型であり、右葉横隔膜下領域のエコーの死角にあるが、本件のように肝硬変症が併存すると肝臓の萎縮と挙上が生じるため死角が拡大し、肝表層部において凹凸不整が生じ、肝癌のエコー像を鑑別することが非常に困難となる。さらに、進の肝硬変症はアルコール性であり、脂肪肝の要素が相当高度に関与しているため、エコー像全体が不明瞭になり、肝癌の鑑別がいっそう困難になる。したがって、本件においては肝癌を早期癌の段階で発見するのは不可能である。

(二) 進の肝癌の治療可能性

(1) 原告の主張

早期癌(細小癌)の段階で発見された場合、一般的に発見時の肝癌の進行度と肝予備能により、肝切除術、肝動脈塞栓(TAE)療法、エタノール注入療法等の当時施しうる全ての治療の可能性があるから、進の肝癌が細小肝癌の段階で発見されていたならば、進は前記のような全ての治療の機会が与えられ、当時の医療水準によれば、本件のような死亡は十分避けられた。また、進の肝予備能は良好な状態でほとんど変化なく推移していたから、細小癌の段階で発見されていれば、右治療により、進の肝癌は治癒した可能性が十分にあった。

(2) 被告の主張

肝癌は、胃癌、大腸癌、子宮癌、乳癌等他の臓器の癌に比べて、仮に早期癌の段階で発見できたとしても、進行癌の病態になっている場合が多いので、たとえ外科的に癌腫瘍を除去することに成功したとしても、既に転移によって別の箇所に肝癌が散在しているため、治療効果が乏しく、予後は一般に悪い。門脈または肝静脈に癌腫瘍が浸潤し、塞栓を生じれば、血流を介した転移が高度に進行しているだけでなく、脈管自体が高度に浸潤されているから、切除術はもちろん、TAE療法も不可能で、これを実施すれば、死期を早めるおそれがある。肝癌においては、早期癌の段階でも腫瘍動態としては限局性癌ではなく、進行癌であり、本件のように肝硬変症が基盤にある場合は、非癌部の肝細胞から発癌しやすい環境にあるので、癌腫瘍を除去しえたとしても、次々と発癌することが通常であるから、死の転機は避けられない。肝硬変症基盤型の進行癌においては、治癒可能という意味での早期癌の概念はあてはまらない。

また、本件当時、肝癌で救命・延命を期待できる治療方法は切除術とTAE療法の二つだけであるが、S4の浸潤型の肝癌の場合、予後はこの二つとも期待できない。

まず、切除術については、S4の癌は、細小肝癌の段階で発見された場合でも、浸潤型であるため縮小手術の適応がなく、左葉全体の切除となるが、進の肝癌は多中心性であるため、S4の癌の左葉全体の切除に加えて、S6及びS7の全体、すなわち後区域全体の肝切除をしなければならず、左葉全体の切除と後区域全体という肝全体の三分の二を切除することになるが、進には、もともと肝機能が低下している肝硬変症が基盤にあるので、右の二つの切除を行えば、直ちに肝不全を起こして死に至る。また、S4の癌の切除については、肝臓の生命線である門脈本幹を切除することは絶対にできないから、転移癌を放置するほかないし、そもそも門脈本幹分岐部の浸潤癌を差し置いて、これより救命効果の点ではるかに劣るS4の癌だけ切除すること自体無意味であって、むしろ手術侵襲が死期を早める。

次に、TAE療法については、S4の癌のように門脈二次分枝に浸潤が及んでいる場合には、効果がないどころか、右療法を施すと、肝動脈の血行が遮断されるから非癌組織の壊死を必ず伴う。また、本件のようにS4のほか、S6とS7にも癌があるという多中心性の癌の場合、TAE療法の適応がないS4の癌には実施せず、S6やS7の癌に対しTAE療法を施しても救命・延命効果はない。すなわち、本件のように門脈二次分枝浸潤というそれ自体高度な浸潤によって肝予備能が低下しているうえに、非癌組織自体に肝硬変症がある場合はTAE療法の実施は死期を早めるだけである。

四  損害(原告の主張)

1  進の損害

(一) 逸失利益

進は、昭和四一年以降約二〇年にわたり、コロニアル屋根、外装材料などのいわゆる新建材の販売をする上野商店を経営していた。死亡当時(昭和六一年)は二人の常勤従業員のほか数名のアルバイトを雇用し、年間九〇〇〇万円の売上げを計上していた。死亡前の昭和五八年ないし昭和六〇年の三期の申告売上高の平均は、年間九二二六万六八四〇円であるが、税務申告上の課税対象所得は、所得税の課税の対象を画すべき税務上の指標であるから、進の年間所得は、右の年平均売上高に業種別税標準所得率表の利益率一六パーセントをかけた一四七六万二六三四円である。

進は、昭和六一年七月二七日の死亡当時五五歳であったが、約二〇年の暖簾を持つ建材販売業の上野商店を経営し、比較的早く新建材の販売を手掛けたこともあって、多くの固定得意先を有して経営が安定し、長年の信用から少なくとも満六七歳までの一二年間は右平均収入を維持しえたと考えられる。進は自営業であるから、万一病床に臥した期間があったとしても、収入を維持することは可能であった。そこで、三割の生活費を控除をし、一二年の新ホフマン係数九・二一五を乗じて計算すると、得べかりし利益は、九五二二万六七五〇円となる。

92,266,840×0.16×0.7×9.215=95,226,750

(二) 非財産的損害

進は、被告を肝臓病の専門医と紹介されて被告の診療を受けることになったが、被告の専門家としての技量経験を信頼して忠実にその診療方針に従い、休診日等を除きほとんど毎日通院し、約二年八か月間にわたり被告の診療を受けた。

ところで、被告は、肝臓病の専門医として、進の肝硬変症に対する治療のみならず、進の肝癌の併発を疑診し、できるだけ早期に発見することにより、肝癌の併発があった場合も、肝癌に対する治療を受けられるようにすべきであるのに、約二年八か月間にわたり、単に血液生化学検査を実施し、視診、触診、打診をし、肝硬変症に対する投薬等をしただけで、肝癌の発症については、AFP検査やエコー検査を受けさせる等の対応をしなかった。すなわち、進は、被告を信頼して被告の指示のみに従った結果、肝癌に対する治療の機会を失ったのであり、進にしてみれば、治療の機会を奪われたことになり、これによる進の精神的苦痛に対する慰謝料は少なくとも五〇〇〇万円を下らない。

(三) 右(一)、(二)は、本来別個の損害であるが、(一)及び(二)の合計のうち五〇〇〇万円を進の損害として請求するが、原告和子が二分の一(二五〇〇万円)を、その余の原告が各四分の一(一二五〇万円)を相続した。

2  原告らの固有の損害

(一) 慰謝料

原告らは、かけがえのない夫、父親を突然失った。肝癌破裂の後も筋肉痛と診断した被告を信頼し、その指示に忠実であろうと勤めた父親であったことを思えば、原告ら家族の悲しみは捉え難く大きい。当時の原告らの置かれた精神的苦境を考えると、原告和子が金七〇〇万円、その余の原告が各自金二五〇万円、合計一二〇〇万円をもって慰謝するのが相当である。

(二) 葬式費用

原告和子は、進の死亡による葬祭関連費用合計三〇九万三八四九円の全額を負担したが、うち二〇〇万円については、原告和子の損害として被告が負担すべきである。

(三) 弁護士費用

本訴は、専門的、かつ、複雑多岐にわたる訴訟であるから、原告らに認められる損害額の約一割の六〇〇万円については、訴訟代理人との契約の当事者となっている原告和子の損害と認められるべきである。

3  計算

(一) 原告和子 四〇〇〇万円

1の二五〇〇万円+2の(一)ないし(三)の合計一五〇〇万円

(二) その余の原告 各一五〇〇万円

1の一二五〇万円+2(一)の二五〇万円

第三  争点に対する判断

一  進の被告による診療経過

1  輸血歴はなく、アルコール多飲歴がある進は、昭和五八年一〇月五日から同月八日にかけて、小倉記念病院において、人間ドック検診を受けたが、その際に実施されたAFP検査における数値は二〇〇ng/ml以上の陽性(正常値は二〇ng/ml以下)であり、その他の諸検査の数値も肝硬変症の所見を示していた。そこで、進は、さらに、同月一七日、二四日、三一日と同病院の消化器科において、担当医師木下善二医師の指示により、腹部超音波検査及び肝シンチを受診したが、肝臓に明らかな腫瘍は認められなかった。また、AFP再検査の指示も出ていたが、右検査は実施されなかった。

そして、木下医師は、進に対し、肝臓病の専門医として被告を紹介した。木下医師は、右紹介状に「診断名は『肝硬変症(アルコール性?)』であるが『患者には慢性肝炎と告げております』」と添書きし、診療録(甲73)には、「データが揃ってから牧坂医師にお願いする」と記載し、「スクリーニング」の指示もしていた。

進は、木下医師の紹介に従い、同年一一月四日、被告と、自己の肝疾患の診療及び治療契約を結んだ。(甲1、49、50、55~57、63及び73、乙1及び51、証人木下善二の証言、原告和子及び被告各本人尋問の結果)

2  被告は、山口大学医学部大学院在学中は肝臓癌の診断を中心に勉強し、昭和四一年に医師免許を取得した後、昭和四五年四月に同大学医学部第一内科に入局、同年一二月には助手になるとともに博士号を取得し、昭和四九年四月から同大学医学部附属高等看護学校の講師を兼任し、栄養学を教えた。同年九月一日から小倉記念病院内科に勤務し、臨床現場において各種肝臓疾患患者の診療にあたり、昭和五一年四月には同病院内科部長に、昭和五五年四月には同病院消化器科主任部長にそれぞれ就任したが、昭和五四年四月からは山口大学医学部非常勤講師として肝臓の形態と機能について、昭和五五年五月からは産業医科大学非常勤講師も兼任して肝臓病学について教えた。昭和五七年一二月三一日、小倉記念病院を退職し、昭和五八年一月一〇日、被告医院を開設した。被告医院の診療科目は、内科、消化器科、循環器科、呼吸器科、放射線科であり、医師は被告一名、看護婦四名で、入院設備はなかった。(乙49、被告本人尋問の結果)

被告は、昭和五一年に制癌剤投与で肝癌を完治したという研究報告を、昭和五五年に慢性肝炎に対する漢方薬の治療効果を論文発表し、昭和五七年に小倉記念病院消化器内科部長として、過去九年間に治療された肝臓癌二四五症例の調査研究をまとめた(甲32)が、その中で、「従来診断がついた時点で死を意味していたといって過言ではなかった原発性肝癌も早期診断が可能となって初めて根治可能な消化器癌の仲間入りをしつつあるといえる」、「原発性肝癌の治療成績を向上させるためには、発生母地と考えられている慢性肝炎、肝硬変症に対して、各検査法を効率良く駆使して詳細にその経過を追跡することにより、根治手術が期待できる細小肝癌及び切除可能な症例をできるだけ早期に発見することであり」(一八頁)と論述した。

3  被告は、進の治療を始めるにあたって、進に対し、禁酒等の節制及び安静を指示した。進は、完全に飲酒を止めてはいなかったが、概ね被告の指示を守り、節制に努めた。右初診日から昭和六一年七月まで、休日等を除いて殆ど毎日のように被告医院に通院し、合計七七一回、被告の診療を受けた。(甲1及び58、原告和子本人尋問の結果)

この点について、被告は、進は指示に反して頻繁に飲酒しており、節制していなかった旨供述する。しかし、進の妻である原告和子は、進は、完全に酒を断っていたわけではないが、花見など付き合いの上でのやむを得ない場合を除き、できるだけ飲酒しなくて済むように日頃から工夫し、肝機能検査の数値の推移を非常に気に掛けていたと供述してこれを否定しており、進の診療録によれば、進は、約二年八か月の間、ほとんど毎日のように被告医院へ通院し、その間、被告に対し、不眠症や胃潰瘍などその時々の症状を様々に訴え、自分の病状についてかなり神経質であったことが認められ、小倉記念病院の木下医師の被告に対する紹介状(乙1の4)には現在飲酒していない旨添書きされ、被告も初診時に進がこの二か月間飲酒していない旨診療録に記載している(乙1の2)ことからすれば、右認定のとおり、進は節制に努めていたと認めるのが自然であり、被告の右供述は信用できない。被告は、進に対する肝機能検査の結果は、進の飲酒の影響を明らかに示している旨供述するが、ウイルス等飲酒のほかにも原因は考えられるのであって、そのように断定することはできない。

その間の被告の進に対する診療の内容は、問診をし、肝庇護剤を投与するなどの内科的治療をしたが、一か月ないし二か月に一度の割合で触診等により直接に診察し、GOT、トータルビリルビン、LDH、A1‐p、γGTP、αグロブリン等の肝機能検査を実施した。肝癌発見の目安となるAFP検査が昭和六一年七月五日に実施されたが、それ以前には初診以来、AFP検査等の肝癌の腫瘍マーカーの検査等は実施されなかった。(乙1~3、被告本人尋問の結果)

4  昭和六一年一月一七日夜、進が突然鼻血を出したため、原告和子が被告に電話で相談すると、被告は、鼻血の手当は被告医院ではできないので、急患センターへ行くよう指示した。しかし、急患センターには耳鼻科がなかったことから、進は、その夜の当番医であった河村耳鼻咽喉科医院で、止血の応急処置を受けたが、その際、河村医師から精密検査を受けることを勧められた。同月二〇日、被告は、まだ小量の鼻血があると訴える進に対し、止血剤の点滴と内服の止血剤を投与した。その後、河村医師から、被告に対し、鼻粘膜の毛細血管からの出血であること、進に副腎膀胱炎が存在していたが、これも鼻血の原因と考えられる旨の連絡があった。その後、進は、河村医院と被告医院をほぼ毎日受診し、次第に鼻血が止まってきた。被告は、同月二五日、血小板数を含めた抹消血検査を、同月二七日に肝機能検査をそれぞれ実施したところ、血小板数は三万四〇〇〇/mm3であり、肝機能検査の数値は、それ以前の検査結果と比べて、γGTP、GOT、GPTの各数値が上昇していた。(甲1、乙3、原告和子及び被告各本人尋問の結果)

5  昭和六一年七月五日、被告は、急に体重が四キログラム減少した進に対し、AFP検査を実施した。同月九日に出た検査結果によると、その数値は一一〇ng/mlであったが、被告は、進及び原告和子に対し、AFP検査の結果、肝癌の反応が陰性であった旨告げた。(甲1、乙3、原告和子及び被告各本人尋問の結果)

6  同月一七日夜から、進は、腹部が膨隆し、右季肋部痛が出現し、翌一八日午前一時ころ、急患センターで受診したところ、急性胃腸炎と診断されて鎮痛剤の投与を受けたが、担当医師から腹部の膨隆とガスの異常を指摘された。進は、同日朝、被告の診療を受け、被告に対し、右背部から右季肋部にかけての疼痛を訴えたが、被告は、筋肉痛と診断し、応急処置として鎮痛剤ペンタジンを筋注した。進は、約三〇分後、疼痛が消失し帰宅した。しかし、その夜、進は発汗と一過性の意識傷害を伴う高度の腹痛に襲われた。翌一九日も、進の上腹部痛は持続し、腹部膨満感、発熱(三九・一℃)も伴ったため、被告の診療を受けたところ、結膜に貧血があり、腹部膨隆、腹部全域に著名な圧痛と反張痛、前脛骨部に浮腫が認められ、全身状態も前日より憎悪していたので、被告は肝癌を疑診し、試験的に腹腔穿刺を施行して血液を吸入するとともに、肝被護剤を含有する溶液五〇〇ccの点滴をし、抗生物質、利尿剤、鎮痛剤及び解熱剤の注射をした。被告は、自院に入院設備がないことから、小倉記念病院に入院の受け入れを問い合せたが、空床がなかったため、原告和子に対し、週明けの同月二一日に小倉記念病院で受診するよう指示し、坐薬五錠及び同病院宛の紹介状を手渡した。進は、点滴終了の正午ころ、原告和子とともに帰宅した。帰宅した進がやはり腹部膨満感と極度の疲労を訴えていたところ、被告が電話で進の容態を問い合せてきたので、原告和子が進の状態について説明したところ、被告は、原告和子に対し、小倉記念病院宛の紹介状を大手町病院に出してもよいが、もし取りに来るなら、改めて同病院宛の紹介状を書く旨伝え、被告医院へ来た原告和子に対し、同病院宛の紹介状を手渡した。

進は、容態がさらに悪化したため、同日午後五時ころ、被告の紹介状を持って大手町病院の救急外来へ行った。当日の当番医であった鶴田医師(専門は脳外科)の診察に続いて、同医師から応援を依頼された海口喜三夫医師が診察し、腹部膨満による圧痛、貧血、肝機能障害及び黄疸を認めたため、直ちに腹部CT検査、腹部エコー検査等を実施した。右検査の結果、肝臓のS7、S6等の部位に巨大な腫瘤が見つかったほか、肝内に多数の転移があり、患部が破れ腹腔内出血を起こしていたことがわかり、また、貧血と中程度の肝腎不全が認められたため、応急処置として止血剤等が投与された。その後、進の全身状態の回復を待ち、同月二〇日、二一日ころ、血圧が安定し、ショック状態を脱したことから、急性腹症の原因が肝癌である旨の確定診断をし、肝癌からの出血を止めるため、緊急治療として抗癌剤を注入した血管造影を行った。しかし、その時点では、進の肝予備能が低く、門脈腫瘍塞栓により門脈血流が低下していたため、肝切除術もTAE(肝動脈塞栓)療法も実施できなかった。進は肝不全が進行して容態が悪化し続け、同月二七日、死亡した(死因は肝癌及び肝不全)。(鑑定書、甲1、4、17、62及び74、乙3及び4、証人海口喜三夫の証言、原告和子及び被告各本人尋問の結果)

7  大手町病院で実施されたCT検査、リピオドール注入後上腹部単純撮影のフィルムコピー(甲75の1~6、乙52~56)及び同病院の診療録(甲4)によれば、進の肝臓には、S6(肝右葉後下亜区域)に大きさ約七〇×七〇ミリメートルの腫瘤、S7(肝右葉後上亜区域)に大きさ約六〇×六〇ミリメートルの腫瘤、S5(肝右葉前下亜区域)またはS8(肝右葉前上亜区域)に大きさ約二六×二五ミリメートルの腫瘤及びS4(肝左葉内側区域)に大きさ約五〇ミリメートルの境界不明瞭病変が認められ、肝右葉小肝内にも大きさ不明の転移巣が数個認められ、門脈本幹に大きさ不明の腫瘍塞栓が認められた。なお、解剖が実施されておらず、資料となる各フィルムが肝癌の位置や形態を確認する目的で撮影されたものではないため、正確な腫瘍の位置、大きさ等は不明である。(鑑定書、証人馬場崇、森田孝二及び海口喜三夫の各証言)

二  肝細胞癌の早期発見義務について

1  我が国の水準的医家においては、昭和五八年以前より、肝硬変患者の経過追跡中に肝細胞癌を合併する率が高い(肝癌合併率は肝硬変全体で二七・六パーセント、うちアルコール性肝硬変は一六・四パーセント)ことが広く知られ、自覚症状や身体所見あるいは一般肝機能検査のみから肝癌の出現や進行を知ることは困難であることから、肝硬変患者に対しては、肝癌合併を監視する特殊検査が必要であると一般的に認識されていた。

昭和五八年から昭和六一年当時、肝細胞癌の危険因子として、肝硬変症、男性、年齢五〇歳代、B型肝炎ウイルスマーカー陽性の四因子が特に重視されていたが、進は、昭和五八年一一月当時、五三歳の男性で、アルコール性肝硬変症であるから、右の四因子中三因子に該当し、いわゆる肝癌発症に関する超高危険群には属しないにしろ、医師として肝癌発見のための注意を怠ってはならない高危険群に属していた。

そして、当時、肝癌の早期発見のための検査方法として認められていたのがAFP検査と腹部超音波検査であった。

(一) AFP検査

AFP(α・フェト・プロテイン)とは、胎生期に産生される特異的な血清蛋白の一つで、健康な成人の血中にはほとんど存在しない(正常値二〇ng/ml以下)が、肝細胞癌が発症すると、癌細胞においてもAFPが産生されるため、AFP値が異常値を示すことが多い。そこで、AFPは、肝癌における腫瘍マーカーとして重要なものとされている(甲34・一四六頁等)。ただし、肝癌の大きさと血中AFP値は必ずしも比例せず、比較的小さな癌でもAFP高値のことがある反面、巨大な癌でも値が極めて低いか陰性のこともある。しかし、同一患者について経過を追って観察していくと、病状の進行に伴って血中AFP値の増加が認められることが多い(乙10・二二八頁、乙15・二二六頁等)。また、細小肝癌ではAFP値が顕著な上昇を示すことは必ずしも多くないため、細小肝癌の発見のためには、反復測定しながら経過を観察し、肝癌の発生を見逃さないようにしなければならない(甲10・一七九頁、乙39・九九六頁等)。すなわち、AFP検査は一回の定量による数値に絶対的な意味があるわけではなく、むしろ、定期的な反復測定によって軽度異常値が持続する時期に肝癌を発見する(乙19・七一四頁等)ことができるように、その数値の変化を経時的に丹念に観察することが重要となる(甲12・二〇八頁等)。

(二) 腹部エコー(超音波)検査

AFP検査には、前述のとおり、細小肝癌では必ずしも有意な数値が得られないなど、肝癌の早期発見のための腫瘍マーカーとしての限界があるため、腹部エコー検査等の画像検査の併用が必要である。

超音波診断装置とは、周波数の高い音を人体に発射して帰ってきた音をキャッチしレーダ原理の応用で画像を作る装置である。プローブと呼ばれる探触子を直接身体にあてるだけで、リアルタイムに臓器の診断像が得られ、また、心臓の動きなどもそのまま見ることができる。しかも、無害、無侵襲であるから繰り返し安心して使用でき、低コストであることや、操作が極めて容易であることから、診断の道具として有効である(甲66の1等)。

そこで、超音波は簡便な装置と容易な操作により、専門医に限らず一般臨床医にとっても必須の診断法となってきており(甲3の4・四三、四四頁)、腹部エコー検査は、触診代わりとして使用され、その習熟は第一線医家にとって必須であり、それなくして肝疾患、特に肝癌の診断はなされえない(甲34・一六頁)。

(三) その他の検査

エコー検査は、死角や描出の点で完全なものではないため、AFP検査とエコー検査を組み合わせた定期的スクリーニングにより肝癌が疑診された場合は、肝癌の早期の確定診断のため、CT検査、肝生検、肝シンチグラム、腹腔鏡検査、血管造影等の検査をさらに行う必要がある。

2  被告は、本件当時は、血液生化学検査を含む臨床所見に肝癌を思わせる異常がないときでも定期的スクリーニングを実施することは、一部の先端的研究者が提唱していたにとどまり、いまだ医療臨床の現場では実践されていなかったと主張する。

しかし、本件以前から、一般開業医向けに健康保険・税金ニュースや人事往来とともに医療関係記事を掲載する総合雑誌(甲9、34等)や、被告も所属している日本肝臓学会の機関誌(甲20)等多数の文献(甲68~72等)の中で、細小肝癌の早期発見を特集した学会シンポジウムの紹介(甲71の1及び2は、昭和五八年一二月に福岡市で開催された日本超音波学界のシンポジウムの紹介である。)や、早期発見のための有効な検査の探求や早期発見例の報告等の記事が掲載されるなど、度々エコー検査等による細小肝癌発見の可能性が論じられている。加えて、論文のほとんどが多数の臨床成績を論じており、各医療機関での長期間にわたる調査結果が資料となっていることからも、本件当時は既に実践医療の段階に移っていたと認めるのが相当である。

特に被告は、前記認定のとおり、山口大学医学部、産業医科大学等の講師として、肝臓病の研究に従事し、臨床医としても肝臓病の専門家として昭和五一年及び昭和五五年に肝癌の治療効果について論文発表し、昭和五七年には、小倉記念病院消化器内科部長として長年にわたって肝臓癌の治療に従事した成果を発表するなど、AFP検査やエコー検査等による肝癌の早期発見の必要性を認識しているのである。進は小倉記念病院において、昭和五八年一〇月、人間ドックでAFP検査を受け、肝障害患者として超音波検査も受けるなど、同病院では昭和五八年以前から消化器内科で定期超音波検査が実施され、昭和五九年からは定期検査が多く実施されたことが認められる。また、昭和五八年一一月、小倉記念病院において進を担当した木下善二医師は、肝硬変患者である進の診療のため、長年の研究歴、臨床歴を有する肝臓の専門家であり、同病院の消化器内科部長であった被告を紹介したのであるから、被告の依頼があれば、小倉記念病院において、進にAFP検査やエコー検査等の定期的スクリーニング検査を受けさせることはそれほど困難ではなかったと認められる。

以上の認定からすると、被告には、進のような肝癌発症に関する高危険群患者に対しては定期的スクリーニングをする義務があったと認めるのが相当である。

3  定期的スクリーニングの検査間隔

検査間隔については、少なくとも年二回のAFP検査及び年一回の画像検査、特に超音波検査を施行するか、他施設で同検査を受けるよう指導すべきという意見(本件鑑定)、九か月に一度の肝シンチと超音波検査とすべきという見解(甲77・鑑定書引用文献7)、年四回の超音波ないしAFP検査をすべきという見解(甲78・鑑定書引用文献8)及びエコー検査については二~四か月に一度、AFP検査は一~三か月に一度の間隔で実施すべきとする見解(甲3の6・一〇一頁、甲9・一三一頁、甲12・一三四頁、甲13・一九頁、甲15・三八~三九頁、甲20・一一八頁、甲21・一八〇八頁、甲25・五五頁、甲28・一二六六頁、甲34・一九~二〇頁、甲71の2・五頁)等があるが、進の症状、診療契約の趣旨及び肝細胞癌の腫瘍倍加時間の検討のほか、超音波装置及び専門家の数を考慮して判断するのが相当と認められる。鑑定人馬場医師は、開業医レベルでの実施という立場から検査間隔を弛めているが、本件の場合の定期的スクリーニングは、他の施設のある病院で検査を受けるように指示・指導することで足り、また、六か月間隔ではその間に肝癌が急に大きくなってくる場合がある(甲3の6・一〇一頁等)ので必ずしも十分とはいえない。

そうすると、本件の場合、被告は、自らあるいは小倉記念病院等他の設備を有する医療施設での受診を指示するなどして、少なくとも、年三回、即ち四か月に一度はAFP検査及びエコー検査を定期的スクリーニングとして実施し、その検査結果により肝癌の疑いが生じた場合には、さらにCT検査、肝シンチグラム、血管造影等を実施して肝癌の確定診断に努めるべきであったと認めるのが相当である。

三  被告の義務違反

ところで、被告は、AFP検査の結果が陽性で、肝硬変、男性、年齢五〇歳代という肝癌発症に関する高危険群患者であった進に対し、昭和五八年一一月四日の初診時から昭和六一年七月五日までの約二年八か月間に合計七七一回の診療をしながら、被告が指示すれば、小倉記念病院等の他の定期的スクリーニングができる病院で検査を受けさせることも容易であったのに、被告は、肝機能検査、凝固系検査としてヘパプラスチンテストを実施したのみで、昭和六一年七月五日にAFP検査を一度実施した以外は、肝癌を想定したAFP検査やエコー等の画像診断による定期的スクリーニングを一度も実施していない。

したがって、被告は定期的スクリーニングを実施し、進の肝細胞癌を早期発見すべき義務に違反したものと認めるのが相当である。

四  被告の早期発見義務違反と進の死亡との因果関係

1  早期発見の可能性

(一) 進の肝臓には、昭和六一年七月一七日の時点で、S4、S6、S7等の部位に進行した肝癌の腫瘍ないし病変が確定的に認められるが、同月五日に実施したAFP検査まで、被告によって肝癌の定期的スクリーニングが実施されていないため、小倉記念病院で受診した昭和五八年一〇月の時点で、進はアルコール性肝硬変症(C型肝炎ウイルスの存在が明らかでなかった当時の分類による)であり、機能的には代償性肝硬変症であった、即ち肝癌の発症はなかったことから、その時点から昭和六一年七月までの間に進は肝癌を発症したと認めざるを得ないが、前記判断したとおり、被告において、AFP検査、エコー検査を四か月に一度の割合で実施した場合に、進の肝癌が発見できたかについて検討する。

進の肝癌は、それぞれの正確な位置及び大きさが不明であるうえ、いわゆる肝硬変における多発性発癌(複数の腫瘍が同時に発生)の可能性も否定できないため、原発巣を断定することはできないが、肝癌は一般的に多中心性がその特徴であること(甲88・一三二頁)や、腫瘍ないし病変がある程度離れた位置に存在することからすると、多発性発癌と認めるのが相当である。

被告は、S4に浸潤型の約八センチメートルの大きさの癌が存在すると主張し、大手町病院でのリピオドール造影写真を見て、S4に直径八センチメートルのび漫型癌が認められる旨供述する。しかし、小倉記念病院放射線科部長としてレントゲン読影の専門家である証人森田孝二は、リピオドール写真(乙52~55)とCTフィルムだけでは判定できず、癌腫瘍の場所と分布を確認する造影剤注入による血管造影法によらなければ、判定できない旨証言している。海口証人も、乙52を示されて、S4に位置するものがそもそも癌(病変)であるかどうかも断定できない旨証言し、鑑定書にも、「リピオドールの境界不明瞭な淡い集積、判定不能」、CTフィルム所見のうち、S5ないし8にあるものは「腫瘤」としながら、S4についてのみ、「境界不明瞭病変」であると区別している。本件では、大手町病院の海口医師による緊急治療として抗癌剤を注入した門脈造影が実施されただけであって、肝癌の形態を調べる目的の肝動脈造影はなされていないのであるから、被告の右主張のような断定はできない。

(二) また、肝癌の腫瘍倍加時間は最低一二日から最大四五五日と実に四〇倍近い誤差があり、当時のエコー検査、CT検査の検出限界能を一・五センチメートルとすると、診断可能な時期は、早い成長例の場合は昭和六一年四月、遅い成長例の場合は昭和五八年一一月以降であると推測することができる。

(三) 被告は、進の肝癌は、S4の癌がエコーの死角を存在し、肝硬変症を基盤にする浸潤型というエコーで極めて描出困難な特殊な癌であったこと及びAFP値が昭和五八年一〇月の時点で二〇〇ng/ml前後、昭和六一年七月五日の時点で一一〇ng/ml、同月二五日の時点で一八ng/mlと推移していることからすると、進の肝癌はAFP非産生型と断定できるから、進に対し、定期的スクリーニングとしてエコー検査やAFP検査をしても、早期癌の段階で発見することはできなかった旨主張する。

しかし、進の肝癌は、前記のとおり、多中心ないし多発生肝癌で、S4以外の部位のものは結節型腫瘍であるから、これはエコー検査で十分発見可能であり、そして、その後に肝癌の場所と分布の正確な情報を得るために、CT検査や血管造影等による形態的診断がなされるから、被告の主張する死角等画像の描出上の難点は解消できる。

AFP値についても、昭和六一年七月二五日の時点での数値は、肝癌が破裂して肝臓機能が肝不全状態にまで破綻した状態での数値であり、同月五日時点での数値は、小倉記念病院においてAFP検査が実施された昭和五八年一〇月の約二年九か月後のものであり、その間の推移が不明であるから、進の肝癌がAFP非産生型であると断定することはできない。

(四) 当時は、エコー機器の性能の飛躍的向上により、二~三センチメートル以下の肝癌の発見が可能になっていた(甲26~28、30、31)のであるから、定期的スクリーニングとしてAFP検査及びエコー検査を実施すべきであり、そして、その際に肝癌の発症が疑われれば、肝癌の確定診断のために、CT検査、血管造影等による画像検査を実施し、肝癌発症の部位及び程度が確認され、それに対する治療が施されることになるのである。

被告が、昭和五八年一一月の初診時から、四か月に一度の割合でAFP検査及びエコー検査を定期的スクリーニングとして実施していたとすれば、当時のエコー検査やCT検査の検出限界能を一・五センチメートルとし、前記腫瘍倍化時間による推定を合わせて考慮しても、進の肝癌はより早期に発見できた高度の蓋然性があったと認められる。

2  肝細胞癌の治療可能性

(一) 本件では、前記のとおり、仮に定期的スクリーニングを実施して肝癌を発見できたとしても、その時点での肝癌の状態は不明であるから、治療を施したとしても、具体的にどの程度の延命効果があったかは明らかではないが、当時の医療水準において、肝癌が発見されれば、TAE療法、局所化学療法、全身化学療法、場合によっては肝切除等の治療を受けることができた。治療法の選択は発見時の肝癌の進行程度と肝予備能によるが、治療後良好な予後が期待できる段階で発見され、適切な治療を受けたとすれば、延命効果が期待できたと認められる。すなわち、進は、肝硬変患者として長期間治療を受けていたが、肝癌が破裂したと推認できる昭和六一年七月一七日ころ以前は、肝機能はほとんど悪化しておらず、アルコール性肝硬変、代償性肝硬変、肝機能が比較的保たれていたから、右肝癌が破裂したと推認される時点以前に肝癌が発見されていれば、次のような適切な治療により延命効果が期待できたと認められる。

(1) 切除術

肝癌に対する根治的治療法の第一選択は、外科的切除術である。癌組織を完全に除去できる治癒手術と、完全に切除した場合に術後の肝機能の低下が予想される場合に、範囲を限定して行う非治癒手術とがある。これら手術による治癒ないし延命効果は、肝癌の進行程度(腫瘍径)に応じて治療効果が大きく異なるが、進の肝癌が、二センチメートル未満の段階で発見されたとすれば、治癒するか長期延命につながる可能性が高い(甲79・一八頁及び一〇五頁5図、甲40・一九六六頁等参照)。

(2) TAE療法

肝臓の血液は、四分の一が肝動脈から、四分の三が門脈から流れ込んでいるが、肝臓の癌細胞の肝動脈だけから栄養や酵素を受け取って成長する性質を利用して、患者の大動脈からカテーテルを肝臓まで通し、塞栓物質を注入して肝動脈を塞栓して栄養補給を止め、癌細胞を死滅させる治療法がTAE療法である(甲88・一三五頁)。

肝癌の治療法のうち、最も適用範囲が広く、切除術や後記のエタノール注入法では治療が難しいケース(癌病巣が四つ以上ある多発性の場合や、門脈に浸潤した癌病巣)にも用いることができるが、肝動脈の血流を阻止する関係上、門脈からの血流が得られない場合(門脈本幹の完全閉塞等)には肝臓の機能を維持できず、TAE療法が逆に肝不全を引き起こすという限界が存する(乙38・一六四七頁、乙39・一〇〇九頁)。

(3) エタノール注入療法

これは、純エタノールが蛋白質を凝固させる性質を利用したもので、体外から、肝癌の病巣部にエタノールを直接注入して癌細胞を壊死させる治療法である。この治療法は、癌細胞の直径が三センチメートル以下で三個以内に限られるが、直径二センチメートルの癌であれば四~五回のエタノール注入で癌は完全に壊死する(甲88・一三三頁)。

(二) 被告は、本件当時、肝癌で救命・延命を期待できる治療方法はTAE療法と切除術の二つであるが、前者については、S4の癌のように門脈二次分枝に浸潤が及んだ段階では、TAE療法は効果がなく、S4の癌を放置したまま、S6やS7の癌に対しTAE療法を施しても救命・延命効果はないどころか、TAE療法の強行は、門脈二次分枝の浸潤及び肝硬変症によって肝予備能が低下している非癌組織の壊死を招き、死期を早めるだけであるし、後者についても、S4の癌が門脈本幹分岐部の浸潤型肝癌であり、本件肝癌が多中心性であるから、適応がなく、強行すれば、手術侵襲により死期を早めるだけである旨主張する。

(1) 確かに、進にはTAE療法を施行できなかったが、これは進の死亡直前のリピオドール撮影写真(甲75の1~6、乙52~56)により、進の肝癌の状態がTAE療法に適さないと判断されたからであり、肝癌が二センチメートル未満で発見された場合とは事情が異なるのである。すなわち、癌の成長と門脈への浸潤の関係については、三センチメートルくらいまではその場所にとどまり、三センチメートルを超えると門脈の中へ入って広がる(甲88・一八二頁)から、二センチメートル程度の成長段階では門脈への浸潤がないと認められ、その場合はTAE療法の適応は肯定される。また、四つ以上の病巣を持つ多中心性肝癌にも効果が期待できる点がTAE療法の長所の一つであって、多中心性癌には適応がないということはできず、肝硬変の合併もあながち塞栓術の適応を制限するものではないし、TAE療法は患者の大動脈の血管を塞ぐ手法であるから、進行中の癌の進行を抑制する働きをする。したがって、肝機能を低下させる程度が低いために、切除術をするには肝機能が悪すぎる直径三センチメートル以上の癌にも有効と認められる(甲88・一三二頁)。また、TAE療法と他の療法とを組み合わせて治療することにより、大きな腫瘍の場合であっても、延命は可能である(甲80・一四〇頁以下)。

(2) 進の肝癌は、昭和六一年七月の時点で門脈二次分枝に腫瘍栓(乙52=甲75の1)が存在していたが、昭和五八年一一月から昭和六一年六月時点までに右腫瘍栓が存在していたかは不明である。また、S4の病変の境界は不明であり、正面像以外の側面像や断面像等立体的な位置関係を示す資料がなく、個人差がある肝静脈流入部とS4の病変との位置関係を明らかにする血管造影写真もないから、切除不能な程度に接近していると認めることはできないし、S4の癌が門脈塞栓を招いたとか、細小肝癌の時点から門脈浸潤があったなどと認めることもできないばかりか、門脈浸潤は、S6あるいはS7の結節型癌からの転移と考えることもできる(海口証言)し、発生時期については、前記のとおり、一般に、癌は三センチメートルを超える大きさになると、門脈の中に入って広がる(甲88・一二八頁)から、細小肝癌の段階では門脈浸潤も門脈腫瘍栓も存在しなかったとも推認される。そうすると、仮にS6の癌を二センチメートル未満の段階で発見した時点では、S7の癌は存在しても、S4の病変は存在しなかった可能性もあるから、仮に細小肝癌で発見された場合は外科的切除による治療も適切な治療と認めることができる。

3  結論

以上に認定したとおり、進の肝癌については、被告が前記のような医師としての注意義務に従い、定期的スクリーニングを実施していれば、少なくとも昭和六一年七月の発見以前に肝癌を発見することができ、適切な治療によりある程度の延命効果が得られた可能性が認められる。

しかし、進の延命の可能性が認められるとしても、どの程度の延命が期待できたかは確認できないから、被告の右過失及び債務不履行と進の死亡との間に相当因果関係を認めることはできない。

五  損害について

1  進の慰謝料

進は肝細胞癌の発見のための定期的スクリーニングを被告の義務違反のため受けられず、そのため、肝癌に対するある程度の延命が期待できる適切な治療を受ける機会を奪われ、延命の可能性を奪われたものであり、これにより、精神的苦痛を受けたと認められる。

そして、前記認定した諸般の事情を総合考慮すると、進の右精神的苦痛に対する慰謝料としては三〇〇万円をもって慰謝するのが相当である。

2  弁護士費用

本件事案の認容額、本件訴訟の中で複雑多岐にわたって主張された医学上の論点の解明が困難であったと認められること及び長期にわたる訴訟遂行等を総合考慮すると、損害として認められる弁護士費用は六〇万円と認めるのが相当である。

3  したがって、進の相続人である原告らはその相続分に従って、被告に対し、原告和子が二分の一の一八〇万円、原告奈初美及び原告優子が各四分の一の九〇万円の損害賠償請求権を有する。

4  その他、原告らは、進の逸失利益、原告ら固有の慰謝料及び葬式費用を請求しているが、これらは被告の義務違反により進が死亡したことを前提とするものであって、前記のとおり、被告の過失と進の死亡との相当因果関係が認められないから、いずれも失当である。

六  よって、原告らの本訴請求は、右慰謝料及び弁護士費用を認めた限度でそれぞれ理由がある。

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